「迷子の警察音楽隊」を観る ― 2023年02月02日 22:28
「迷子の警察音楽隊」を観る。2007年のイスラエル・アメリカ・フランス合作映画、監督は エラン・コリリン。
1990年代、イスラエル。エジプトの8人の警察音楽隊が招かれてイスラエルの空港に降り立つ。だが、手違いで迎えが来ない。更に手違いで8人は寂れ果てた砂漠の近くの街に迷い込んでしまう。
すでにバスもなく、行くあてもない8人は、街の食堂の女主人、ディナの好意で3件の家に分宿することになる。
楽団の団長トゥフィークは頑固一徹でプライドが高く、かんたんに他人の好意を受け入れたりしない。イケメンの若い団員カーレドは女の尻ばかり追いかけているが、口説くときはなぜかチェット・ベイカーのマイ・ファニー・バレンタイン。部下筆頭のシモンは協奏曲の作曲に行き詰まり、トゥフィークに指揮をさせてほしいと願い出ているが、認めてもらえない。トゥーフィークにも苦しい過去があるが、容易にそれを口に出すことがない。ディナはトゥフィークに惹かれ始め、トゥフィークも惹かれていくのだが、その思いも自分の中に飲み込んでいく。
登場人物は誰もみな寂しく、物悲しく、そして優しい。一番軽いカーレドでさえ、「ブルーに生まれついて」で取り上げられたチェット・ベイカーのファン、つまりブルーな雰囲気を拭い去れない。そしてみんなそれぞれに懸命に生きていて、そこがそこはかとなくおかしみを生んでいる。そしてみんな口数が少ない。アラビア語、ヘブライ語、そしてイスラエル人とアラビア人がコミュニケーションを取るために使う英語。どの言葉も登場人物全員のコミュニケーションには役不足。必然的に言葉ではなく、表情や音楽が大きなウェイトを占めることになる。
楽団員と住人がぎこちないのも当然。物語の舞台の少し前には中東紛争の敵対国同士のエジプトとイスラエルだ。そういう空気もかすかに感じられる。
作中に登場する歌がラストに流れると、相聞の歌になっているのも秀逸。言葉にしなかった心の中が伺える。ストーリーもすべてを説明し尽くすようなものではなく、余韻を残すものとなっている。何もかも映画で語り尽くしてもらわないとスッキリしないという向きにはストレスとなるかもしれないが、味わい深さが素晴らしい。
1990年代、イスラエル。エジプトの8人の警察音楽隊が招かれてイスラエルの空港に降り立つ。だが、手違いで迎えが来ない。更に手違いで8人は寂れ果てた砂漠の近くの街に迷い込んでしまう。
すでにバスもなく、行くあてもない8人は、街の食堂の女主人、ディナの好意で3件の家に分宿することになる。
楽団の団長トゥフィークは頑固一徹でプライドが高く、かんたんに他人の好意を受け入れたりしない。イケメンの若い団員カーレドは女の尻ばかり追いかけているが、口説くときはなぜかチェット・ベイカーのマイ・ファニー・バレンタイン。部下筆頭のシモンは協奏曲の作曲に行き詰まり、トゥフィークに指揮をさせてほしいと願い出ているが、認めてもらえない。トゥーフィークにも苦しい過去があるが、容易にそれを口に出すことがない。ディナはトゥフィークに惹かれ始め、トゥフィークも惹かれていくのだが、その思いも自分の中に飲み込んでいく。
登場人物は誰もみな寂しく、物悲しく、そして優しい。一番軽いカーレドでさえ、「ブルーに生まれついて」で取り上げられたチェット・ベイカーのファン、つまりブルーな雰囲気を拭い去れない。そしてみんなそれぞれに懸命に生きていて、そこがそこはかとなくおかしみを生んでいる。そしてみんな口数が少ない。アラビア語、ヘブライ語、そしてイスラエル人とアラビア人がコミュニケーションを取るために使う英語。どの言葉も登場人物全員のコミュニケーションには役不足。必然的に言葉ではなく、表情や音楽が大きなウェイトを占めることになる。
楽団員と住人がぎこちないのも当然。物語の舞台の少し前には中東紛争の敵対国同士のエジプトとイスラエルだ。そういう空気もかすかに感じられる。
作中に登場する歌がラストに流れると、相聞の歌になっているのも秀逸。言葉にしなかった心の中が伺える。ストーリーもすべてを説明し尽くすようなものではなく、余韻を残すものとなっている。何もかも映画で語り尽くしてもらわないとスッキリしないという向きにはストレスとなるかもしれないが、味わい深さが素晴らしい。
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