「爆発の三つの欠片」読了 ― 2022年03月12日 22:38
チャイナ・ミエヴィルの第2短編集、「爆発の三つの欠片」を読了。
取り掛かってからずいぶん時間がかかってしまった。読めない時期もあったのだが、短編集ということもあり、途中でストーリーを忘れて再読ということはなかった。
全28の短編、シナリオ、エッセイ風文章が収められた短編集だが、どの作品もスッキリと終わったりしない。どこかおぼろで、霧の中に溶け込むような作品が多い。はっきりとすべてが語られるわけでもなく、わかりやすい結末があるわけでもない。
ホラーテイストの話も、抽象的な話も、もちろんSFも。バラエティに富んではいるが、概して歯ごたえのある作品群。読む側もそれなりのコンディションを整えてかかる必要がある。気力・体力のあるときに、再読、再再読していくことも必要だろう。
不条理、理不尽といった世界に直面させられる短編集。カビの生えた古臭い、見下される対象としてのSF小説と思って手を出すと、てひどいしっぺ返しを食らうだろう。ミエヴィルの長編はわかりやすいところがあるが、短編は彼のイメージとアイディアの奔流のようだ。うかうかすると流れにさらわれて、ズルズルと闇のなかに引きずり込まれてしまうかも。
「〈蜂〉の皇太后」「クローラー」「ゼッケン」「キープ」「ウシャギ」「馬」「デザイン」あたりが印象強い。
取り掛かってからずいぶん時間がかかってしまった。読めない時期もあったのだが、短編集ということもあり、途中でストーリーを忘れて再読ということはなかった。
全28の短編、シナリオ、エッセイ風文章が収められた短編集だが、どの作品もスッキリと終わったりしない。どこかおぼろで、霧の中に溶け込むような作品が多い。はっきりとすべてが語られるわけでもなく、わかりやすい結末があるわけでもない。
ホラーテイストの話も、抽象的な話も、もちろんSFも。バラエティに富んではいるが、概して歯ごたえのある作品群。読む側もそれなりのコンディションを整えてかかる必要がある。気力・体力のあるときに、再読、再再読していくことも必要だろう。
不条理、理不尽といった世界に直面させられる短編集。カビの生えた古臭い、見下される対象としてのSF小説と思って手を出すと、てひどいしっぺ返しを食らうだろう。ミエヴィルの長編はわかりやすいところがあるが、短編は彼のイメージとアイディアの奔流のようだ。うかうかすると流れにさらわれて、ズルズルと闇のなかに引きずり込まれてしまうかも。
「〈蜂〉の皇太后」「クローラー」「ゼッケン」「キープ」「ウシャギ」「馬」「デザイン」あたりが印象強い。
「山田全自動の日本文学でござる」を読む ― 2022年03月04日 20:55
「山田全自動の日本文学でござる」を読む。
落語や浮世絵風の「あるある」ひとコマで人気の山田全自動が日本文学を題材とした本を出した。
浮世絵風はやや影を潜めたが、「東海道中膝栗毛」や「曽根崎心中」をはじめとして、渋いところでは山川方夫の「夏の葬列」なんていう作品まで登場する。
太宰は「人間失格」「斜陽」の2作。梶井基次郎の「檸檬」もなかなか秀逸。原作のツボはきちんと押さえ、現代人的な感覚の表現や突っ込みもさり気なく折り込みながら、きれいにまとめている。そこここに原作に対する愛情を感じるので、今どきのギャグにつきものの軽薄さや予定調和的ボケもない。
各作品のあとに置かれたコラムも面白い。浅からず、深からず、絶妙の立ち位置で描かれた山田全自動流日本文学、面白い。
落語や浮世絵風の「あるある」ひとコマで人気の山田全自動が日本文学を題材とした本を出した。
浮世絵風はやや影を潜めたが、「東海道中膝栗毛」や「曽根崎心中」をはじめとして、渋いところでは山川方夫の「夏の葬列」なんていう作品まで登場する。
太宰は「人間失格」「斜陽」の2作。梶井基次郎の「檸檬」もなかなか秀逸。原作のツボはきちんと押さえ、現代人的な感覚の表現や突っ込みもさり気なく折り込みながら、きれいにまとめている。そこここに原作に対する愛情を感じるので、今どきのギャグにつきものの軽薄さや予定調和的ボケもない。
各作品のあとに置かれたコラムも面白い。浅からず、深からず、絶妙の立ち位置で描かれた山田全自動流日本文学、面白い。
「紙」か「データ」か ― 2022年02月06日 15:16
本は読むのだが、田舎者ゆえ店舗にあるとすぐ買ってしまう悪癖が抜けない。田舎では一度店舗からなくなると、本の入手は一気に困難になってしまう。注文しても要領を得ないままになったり、すでに版元品切れになってしまっていたり…手元不如意でそのうちにと思っていると、店舗から消え去り、ネットでは品切れ、中古価格は高騰、そんなことも珍しくない。
第一、読む速度も考慮せずに買い込むので、勢い「積読」が増える。気がつけば家中本があふれるという体たらくになってしまう。
そこに行くと電子出版のデータ本はありがたい。大判の雑誌などはピンチイン・ピンチアウトしないと字が読めずに面倒なこともあるが、活字本なら問題ない。だいたい何冊あってもサイズも重量も同じというのがありがたい。長大なシリーズ本も平気である。
それに、電子出版の場合、紙の本より若干お値段も手頃なことが多い。これは魅力だ。
だが、物としての本の所有の喜びやワクワク感は電子出版にはあまり感じない。読み終わったときの達成感も、物としての成果が見えないので、なにかあっけない。読み終わった時、ほんとにこれで終わったの?と感じてしまう。紙の本なら物理的に終わりがわかるのだ。
棲み分けが一番いいのだが、棲み分けの線引きがまた一苦労。
第一、読む速度も考慮せずに買い込むので、勢い「積読」が増える。気がつけば家中本があふれるという体たらくになってしまう。
そこに行くと電子出版のデータ本はありがたい。大判の雑誌などはピンチイン・ピンチアウトしないと字が読めずに面倒なこともあるが、活字本なら問題ない。だいたい何冊あってもサイズも重量も同じというのがありがたい。長大なシリーズ本も平気である。
それに、電子出版の場合、紙の本より若干お値段も手頃なことが多い。これは魅力だ。
だが、物としての本の所有の喜びやワクワク感は電子出版にはあまり感じない。読み終わったときの達成感も、物としての成果が見えないので、なにかあっけない。読み終わった時、ほんとにこれで終わったの?と感じてしまう。紙の本なら物理的に終わりがわかるのだ。
棲み分けが一番いいのだが、棲み分けの線引きがまた一苦労。
「人をサル化する政府」 ― 2022年01月27日 21:31
青空文庫の1月23日新着作品に「人をサル化する政府」という、なんとも刺激的なタイトルの作品がアップされている。
人間は思考・想像の能力によって人間足らしめているのであり、その自由こそがもっとも重要なのに、人間の自由を抑圧する為政者は人間を「サル化」させるものであり、自然の摂理にも反する「天に対する大罪である。」とまで断言する。
問題はこの文章が1876年(明治9年)のものだということだ。世界はまだまだ人間のものになりきっていない。
アメとムチ、人事と権益で人を支配しようとするのもまた同様。
筆者、植木枝盛がこの文章を発表したことでどんな目にあったかを知ると、ますます頭が痛くなる。150年経った今を筆者が見たら…
人間は思考・想像の能力によって人間足らしめているのであり、その自由こそがもっとも重要なのに、人間の自由を抑圧する為政者は人間を「サル化」させるものであり、自然の摂理にも反する「天に対する大罪である。」とまで断言する。
問題はこの文章が1876年(明治9年)のものだということだ。世界はまだまだ人間のものになりきっていない。
アメとムチ、人事と権益で人を支配しようとするのもまた同様。
筆者、植木枝盛がこの文章を発表したことでどんな目にあったかを知ると、ますます頭が痛くなる。150年経った今を筆者が見たら…
「クララとお日さま」読了 ― 2022年01月18日 21:19
カズオ・イシグロの「クララとお日さま」を読了。
というより、ずっと前に読了していたのだが、記録するのを忘れていた。
クララは子供の友達として作られた、一世代前の型落ちアンドロイドの少女。アンドロイドにはそれぞれ個性があり、AIの学習能力でそれはさらに分化されていくようだ。クララはデフォルトで他の個体より周囲や人間を観察する機能に優れている。
そんなクララを気に入り、買い取ったのは病弱な少女。クララは販売店で、ショーウィンドウから町や人々を観察し、買い取られてからは少女の家でそれまで知ることのない家族や人々の哀しみや苦しみ、醜さや社会の歪みに直面していく。
そんなクララの動力源は太陽電池らしい。自分の活動の糧を与えてくれる「お日さま」は、クララにとって絶対の存在、いうなれば彼女の「神」のようなものだった。
画像処理の速度が重いクララは、データベースのない未知の世界では視界がピクセル化してしまうようで、詠む側のこちらもピクセル化した漠然とした世界が自然と安定した像を結ぶのを追体験しながら、クララの世界認識を把握していく。その未熟さも、斬新さも。
クララにはあの「アシモフ・コード」がインストールされているのだろうか。彼女は決して人間を恨まない。憎まない。妬まない。
だが、彼女の友達は確実に大人になる。いつしかクララは(もともとか…子供サイズなのだ)小さくなり、別れを告げなければならなくなる。クリストファー・ロビンがくまのプーさんと別れるように。買い取られた家族の誰もから愛されたクララに対して、家族が望むことができるのは「安らかに引退させてあげたい」ことだけになる。
ラストシーンの、なんと美しく、寂しいことだろう。クララの「日の名残り」は、カズオ・イシグロの作品群とたしかに通底しているように思える。
クララは、キカイダー・ジローを想起させる。切なく、寂しい。
というより、ずっと前に読了していたのだが、記録するのを忘れていた。
クララは子供の友達として作られた、一世代前の型落ちアンドロイドの少女。アンドロイドにはそれぞれ個性があり、AIの学習能力でそれはさらに分化されていくようだ。クララはデフォルトで他の個体より周囲や人間を観察する機能に優れている。
そんなクララを気に入り、買い取ったのは病弱な少女。クララは販売店で、ショーウィンドウから町や人々を観察し、買い取られてからは少女の家でそれまで知ることのない家族や人々の哀しみや苦しみ、醜さや社会の歪みに直面していく。
そんなクララの動力源は太陽電池らしい。自分の活動の糧を与えてくれる「お日さま」は、クララにとって絶対の存在、いうなれば彼女の「神」のようなものだった。
画像処理の速度が重いクララは、データベースのない未知の世界では視界がピクセル化してしまうようで、詠む側のこちらもピクセル化した漠然とした世界が自然と安定した像を結ぶのを追体験しながら、クララの世界認識を把握していく。その未熟さも、斬新さも。
クララにはあの「アシモフ・コード」がインストールされているのだろうか。彼女は決して人間を恨まない。憎まない。妬まない。
だが、彼女の友達は確実に大人になる。いつしかクララは(もともとか…子供サイズなのだ)小さくなり、別れを告げなければならなくなる。クリストファー・ロビンがくまのプーさんと別れるように。買い取られた家族の誰もから愛されたクララに対して、家族が望むことができるのは「安らかに引退させてあげたい」ことだけになる。
ラストシーンの、なんと美しく、寂しいことだろう。クララの「日の名残り」は、カズオ・イシグロの作品群とたしかに通底しているように思える。
クララは、キカイダー・ジローを想起させる。切なく、寂しい。
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