久しぶりに大型書店2023年02月17日 21:00

 久しぶりに仕事の関係で出張したついでに大型書店へ。

 一軒目はなんと売り場模様替えの最中で、かなりの書架が閉鎖されているので、お目当ての本にアクセス不能。そそくさと二軒めへ。

 第一のお目当ては愛用のスケジュール帳だったのだが、どちらの店にもおいていなかったのでがっかり。それでもお目当ての本はゲット。

 そのまま書架をブラブラしていると、思いもよらず気を引く本が何冊も…こういう出会いがあるからリアル書店は嬉しい。

 帰りの財布は…もちろん寂しい。帰りの荷物はずっしり重い。面白うてやがてかなしきなんとやら…

「母の記憶に」読了2023年02月07日 20:31

 「母の記憶に」を読了。ケン・リュウの日本版アンソロジーの2冊め。

 母と子、家族、血縁、そういったものの強さ、しがらみ、悲しさが伝わる作品群。ウラシマ効果という古典的アイディアを使った切なくも秀逸なショートショートである表題作「母の記憶に」、清王朝成立前の満民族による揚州大虐殺(当然、満民族がその後打ち立てた清王朝の正史からは排除されている)を庶民の側から描く2作「草を結びて環を銜えん」「訴訟師と猿の王」、遠隔介護を取り上げた「存在」、ハードボイルドスタイルの「レギュラー」、そしてのちの「蒲公英王朝記」の雰囲気を感じる万味調和―軍神関羽のアメリカでの物語」、掉尾を飾る歴史改変ストーリー「『輸送年報』より『長距離貨物輸送飛行船』」と、どれも一級品。

 そしてなにより羨ましく感じるのは、作品の中にしばしば登場する中国の歴史や文化だ。漢詩を歌にして口ずさみ、歴史上の英雄たちの故事を誇らかに語る。こういうところに中国文化の裾野の広さを感じてしまう。

 おおらかで、力強く、しかし時の流れに抗いきれず滅び去っていく、または新しい姿で生き延びていく、そういった寂しさや切なさもしみじみと伝わってくる。ジャンルで色眼鏡をかけて食わず嫌いしているのはあまりにもったいない。

ミシェル・ウェルベック「服従」を読了2023年01月02日 11:55

 ミシェル・ウェルベックの「服従」を読了。

 フランスが2022年の大統領選挙で極右勢力と穏健イスラーム勢力の決選投票となり、穏健イスラーム派の政権が樹立されたという想定の作品。

 主人公は大学教授。どちらかと言えば世捨て人タイプ。研究対象がユイスマンスなので、なるほどとも思える。若い恋人(教え子)もいる。この辺は日本ではスキャンダルになりそうだが、この作品ではどうやらたいしたことではないらしい。この小説がそうなのか、フランス社会がそうなのか…どちらかと言えば後者だろう。

 国内の政治状況は不穏化し、テロが発生。移民に対しても反目が強まる。恋人も家族とともにイスラエルに脱出。そして主人公はムスリムでないことを理由に大学を解雇される。もっともイスラーム勢力にはオイルマネーのバックがあるので、解雇後も年金は従来給与なみに支給され、生活には困らない。改宗して大学に残ると、皿に高給が支給されるという具合。

 人嫌いの厭世家の主人公は、次第に自分が衰えていくのを感じ始める。だがそれはヨーロッパそのものの衰退とリンクしている。この「衰退」の感覚が全編を通してのトーンとなっている。厭世と社会や政治、人事への無関心を基本スタンスとしていた彼は、やがて大学復帰のオファーを受けるのだが…

 自由は孤立とつながり、衰退は無気力や無思考とつながる。その弱さを突き付けられる作品。ドラマティックではない分、じわじわと雰囲気に侵食されるような感覚に囚われた。ヨーロッパを覆う社会の空気を改めて認識させられた。マスコミが流すヨーロッパのイメージは、本当に表層的なものなのだろう。

「傷つきやすいアメリカの大学生たち」を読む2023年01月01日 07:06

 「傷つきやすいアメリカの大学生たち」を読む。グレッグ・ルキアノフ、ジョナサン・ハイト両著。

 アメリカのiGen世代(Z世代)のメンタルヘルスの悪化や大学での暴力的な講演妨害などを取り上げたもので、2018年に原著が出版されている。邦訳は2022年末出版なので、アメリカでこの本に取り上げられた大学生は現在おそらくすでに社会に出ているだろう。

 しかし、内容はアメリカの大学生にとどまらず、今の日本の小中学生、高校生にも十分当てはまる。リスク回避、過保護、過干渉、責任意識の低さ、ギャングエイジの消失、そして精神的成長速度の低下など、この本が指摘している内容は現代日本でも全くと言っていいほど重なっている。もっとも「はじめてのおつかい」がテレビコンテンツとして成立しているのはアメリカよりもまだましか。アメリカであんなことをしたら、保護者を警察が逮捕するらしい。

 本書が提示する3つのエセ真理というのも印象的だ。
1.困難な経験は人を弱くする
2.常に自分の感情を信じ、疑ってはいけない
3.人生は善人と悪人との闘いだ

 日本のサブカルでは、1は完全否定と言っていいだろう。スーパーヒーローはこのエセ真理を否定しないと成立しない。3も、善悪相対化という視点をすでに日本のサブカルは当然のものとして受け取っている。あの「ショッカー」の戦闘員ですら、サラリーマンの共感を呼ぶ存在として受け取られているのだから。子供の時分からこういう価値観を受け止めているのであれば、この2点の胡散臭さには気づけるだろう。

 だが、2に関しては、ブルース・リーのセリフが共感されていることからも危なさを感じる。理屈ではなく感情、感覚を重視するのは同調圧力の根源であって、この部分はむしろ日本のほうが危険だ。3つのエセ真理はどれも危険だが、日本では2の視点が大きな問題となると思われる。

 3つのエセ真理に、治安悪化による「安全イズム」が相乗され、社会が子供に過保護、過干渉を起こすことになっていると本書は述べているが、「安全イズム」は日本でも全く同様。ところが2022年末、あるTV局が学校不登校傾向の小学生たちが生き生きと遊ぶ、大人が子供に干渉してはいけないというルールの公園の様子を放送していた。雨の中でも、泥だらけになりながら、びしょ濡れになりながら、子どもたちは生き生きと遊び、笑い、問題を解決している。そんな子どもたちが学校では「死ね」と罵声を浴びせられ、学校から足が遠のいたという。そして子どもたちの口から出るのが「学校は何もしてくれない」。「逃げるは恥だが役に立つ」という表現は流行ったが、この場合恥でなどない。「逃げるが勝ち」だ。

 救いもある。この公園での子供の様子を知った学校が動きを見せたということだ。学校だってただ傍観しているわけではないということ、自分の不足を認めて変わろうとすることのできる組織であることを示すことが、たとえ少数の学校でもできたのは希望でもある。

 そしてこの本のラストも、希望を感じさせる。単なる告発になっていないのがいい。

「アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風」を読む2022年08月06日 17:45

 「アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風」を読む。神林長平の「雪風」シリーズもこれで4作目。5作目も現在連載中。

 本当に長いシリーズになった。シルフ時代の雪風の終焉で終止符を打った第一作から、思弁性、言語と世界認識といった神林作品の主流へとの接近と、次第に難解度も増して、前作「アンブロークンアロー」では一気にハードな理論合戦(というより、認識合戦というべきか)となっている。

 正体不明の異星知性体、ジャムの侵攻が、地球人ロンバートのジャム側への裏切りと全面宣戦布告で新たな局面を迎える前作、超空間で地球とつながったジャムの本拠らしきフェアリイ星でジャムと最前線で戦うフェアリイ空軍への大打撃、そして南極海上でのジャーナリスト、リン・ジャクソンと主人公深井零との印象的な出会い。AI知性体としての「雪風」との腹の探り合いも続く。

 しかし今作はどちらかと言うと、大打撃を受けたフェアリイ空軍の立て直しと戦略変更がメインとなる。零と主治医のエディスとの、なんとなくほのぼのとする、見ようによってはバカップルのような会話、零と相棒となる桂木とのちょっととぼけたようでいながら、鋭い直感力を持つ言動がいいバランスでストーリーをすすめていく。

 新キャラクターも登場するが、日本のアグレッサー機、飛燕と共にフェアリイに来た伊歩も印象的だ。フェアリイ空軍に来るパイロットはみな一癖ある、ソシオパス系のキャラクターだが、彼女もそんな一人。だが、ラストでは意外とキュートな一面も見せて魅力的だ。

 そして、やはり「雪風」。何を考えているかわからないといいながら、一番ジャムとの戦いに「燃えて」いるのは雪風だろう。クーリィの「雪風はやる気だ」という一言はいいえて妙だ。本作ラストでの登場の仕方がまたいい(そして、そんな雪風の動きをとっさに察して行動する桂木も、コミックリリーフ的な登場とは言え、切れ者にはちがいない)。

 単なる「戦闘」ではなく、政治力も求められるようになった、新たなジャム戦。物語も思弁を重ね、さらに進んでいく。楽しみだ。